着物博物館「着物ライフ」へようこそ。
着物の今昔をたどる当博物館では、世代も時代も超えて着物の思い出や楽しみを追いかけています。2021年10月2日に開設しました。
当館のテーマは二つです。
- 大正ロマンや昭和レトロから今の着物ライフまで
- クールな着物からキッチュな着物まで
副次的に次の点を批判しています。
- 20世紀の着物業界・呉服業界から研究業界までの閉塞性
着物ライフの視点
いろんな伝統があった前近代が民俗衣装の時代、そして20世紀の創られた伝統の近代が民族衣装の時代だったとすれば、21世紀は一周した近代です。
いま、着物や呉服に関する文化や組織のすべてが選択肢になり、すべてがコスプレになっています。
このため、着物を普段着にしようとする方はライフスタイルの一環として広く認知されるようになりました。衣装の多様性です。
着物博物館「着物ライフ」は着物の歴史が終わったことから、着物を見つめています。死者の視点からみる着物や和服の歴史です。
同じ観点から「旗袍(チーパオ)の歴史と意味をさぐるチャイナドレス博物館」も開設しています。あわせてご訪問くださいませ。
20世紀の和服と着物
この節は、思文閣出版の広報誌「鴨東通信」第109号(秋冬号/2019年9月)に書いたエッセイ「日常語のなかの歴史22:わふく【和服】」をわかりやすく読みやすいように書き直しました。
この広報誌バックナンバーは思文閣出版ウェブサイト内の「広報誌|出版|思文閣 美術品・古書古典籍の販売・買取、学術出版」に網羅しています。
洋服と和服
いまの日本で和服や着物という言葉が日常語かどうかは微妙です。
大学生だった1990年頃、大阪市内で恋人を連れた中学校の同級生とバッタリ出あったことがありました。
買物帰りだといいます。二人の持った袋は大きくて柔らかそうなので服だとわかりました。
「何買ったん、洋服?」と尋ねたら、「洋服って……」と爆笑されました。 私はわざわざ「洋」と付けたことが恥ずかしくなりました。
このとき私は「洋服」が死語になったと同時に服という言葉で一般化し、他方の「和服」も死語になったとわかりました。
国立国会図書館デジタルコレクションによると、和服という言葉が目次レベルで初めて登場するのは石井郁太郎『衣服裁縫の教―日本西洋―』(秩山堂、1883年)です。
本来の和服と現代和服
和服とは前方開放衣全般を意味するもので、ゆったりした着物も和服の一種でした。
前近代和服は仕事着や男性用浴衣をはじめとして、ゆとりを残して着るものが多くありました。 ところが20世紀になり、和服のもつ意味が19世紀までとは大きく違ってきました。
たとえば、1920年代は和服がもっとも流行した時期の一つですが、出回ったのは銘仙という格安の絹織物でした。
銘仙は伝統衣装の継続とは程遠いものでした。この頃から和服は体に密着させて締めるものとなり、とくに胸のはだけ具合に顕著に表れました。
胸元のゆとりは、授乳のしやすさを考慮した女性の知恵だったのに、20世紀和服はゆとりとともに知恵を失ってしまいました。また、前近代の和服がもっていた着崩れの美も失いました。
このように、途上国であった日本でも前近代のさまざまな民俗衣装が取捨選択されて近代の民族衣装へ変容しました。和服の西洋化は根深い問題をもっています。
民族衣装の洋服化・西洋化
20世紀転換期に旗袍、漢服、チョゴリ、アオザイも同じ運命をたどりました。
いま「和服」という言葉は和文化見直しの兆しとともに復興し、最近では日本人観光客たちや外国人観光客たちが京都で和服という「伝統衣装」を喜んで撮影しています。
20世紀和服ばかりを日本人は和文化ととらえ、そのように外国人に理解させてきました。作られた伝統が今や唯一の伝統であるかのように、長い間、日本人はゆとりを失っています。
大正ロマンや昭和レトロから着物の今昔をたどる着物博物館
20世紀になり、いろんな和服が着物に一本化され、また着物が窮屈になりました。
着物は絹織物じゃないとダメとか、着崩れしたらダメとか、足袋は白色じゃないとダメとか。
でも、着物の歴史をひもとくと、窮屈にしてきた業者や人々に根拠がないことがわかってきます。
たとえば、幕末期からウールは着物素材で人気をもち、1960年代にはウールマークが大ヒット。
また、着崩れの美は19世紀までの着物や和服の美学でした。それに多くの日本人が裸足をやめて足袋を穿きはじめたのは20世紀になってから。
さらに、1900年ころから日本の和服は洋裁を導入して洋服に向かいました。
和服が洋裁を導入した状況について、服飾史家の大丸弘は次のように述べています。
今日の和服の現実は、ドレーパリー系衣服としてのゆるみのゆたかさは袖にのこるだけで、体幹部はむしろtailoringの方向を志向している。大丸弘「現代和服の変貌―その設計と着装技術の方向に関して―」『国立民族学博物館研究報告』民族学振興会、第4巻4号、1980年3月、789頁。
こんな状況を打破しようと、1950年代から大塚末子のような着物デザイナーたちは果敢にニュー・キモノを作り出してきましたが、呉服業界や着物業界の閉塞性は打破できませんでした。
いま、20代や30代の女子や女性たちの一部が、ニュー・キモノの名でもコスプレの名でもなく、普段着に着物を着ることを自然に体現しています。
着物の今昔をたどる着物博物館「着物ライフ」は、着物女子や着物女性の気楽な活動を応援して追いかけたいと思います。
そして、過去の着物・呉服の呪いを解くきっかけになりばいいなと思います。
こういうわけで「着物ライフ」は、着物ライフやコーディネート・アイデアなどから、大正ロマンや昭和レトロが大好きな着物女子や着物女性を応援していきます。
着物でお出かけしたり観光したりするときは、次の記事にも目を通してみてください♪