中森明菜の「ディザイア」のデザイナーは紫藤尚世だそうです。
明菜は、この曲だけ、テレビでもシングル・レコードのジャケットでも、いろんなニュー・キモノを着つづけました。
中森明菜を例に出してニュー・キモノがブームになったとか、今後は着物・浴衣の復活可能性があるとか言われても、薄幸・明菜(さちうす・あきな)のファンだった私としては…。

このページでは中森明菜「ディザイア」の衣装について話します。
中森明菜「ディザイア」とニュー・キモノ
着物会社やまとの社長・矢嶋孝敏氏と経済学者の伊藤元重氏の対談集『きもの文化と日本』。
《キモノは戦後でもそこそこ着られていて、ニュー・キモノはブームになったこともある。今後、ユカタなどカジュアル衣料品だけでも人気が復活してほしい》というのが両者の趣旨。
確かに、1985年頃から3年ほどニュー・キモノってブームになった気がしますし、矢嶋さんのいうように雑誌「アンアン」に掲載され、中森明菜は「Desire」の曲だけは、テレビでもシングル・レコードのジャケットでもニュー・キモノを着ていました。
中森明菜の衣装全体
しかし、中森明菜を例に出してニュー・キモノがブームになったとか、今後も着物・浴衣の復活可能性はあるとかいわれても、薄幸・明菜のファンだった私としては…


ディザイア以外、全部洋服。
これで終わるんですけど…。
むかし教えていた学生たちにこの点を説明したら納得してくれました。
日本の企業も日本の経済学も、ブームだの火付け役だの、そんなこと大事なんかねぇ…。
ネットでも「こだわりぬいた」キモノとか書いてありますけど、明菜を落としこめるような間違い麗辞が検索結果に並びます。


明菜はすべて曲やすべてのパフォーマンスにこだわりぬきました。一部分を切り取ってこのフレーズを当てはめるのは日本語として間違っています。
ニュー・キモノと和服
中森明菜が「ディザイア」でニュー・キモノへのこだわりを述べた映像が次。
アナウンサーは「和服」と言っています。その判断根拠が分かりませんが、衿でしょうか、帯でしょうか…。
いずれにせよ、当時の感覚ではニュー・キモノではなく和服だったというのは面白い発言です。これに対して、女性たちは着物と言っているのが対照的で面白いです。
和服が日本人のものでは無くなったことを痛感します。
ちなみに明菜がジャケットと言っているのは、シングル・レコードの表紙のことで、衣服のジャケットではありません。
大丸弘氏が指摘したように「ニュー・キモノはアイデア遊び」に過ぎません。
少々の衣服形態のアレンジ、そしてむしろ中心となる生地のアイデアと商法のアイデア。
でも、それとて限られているので、議論は堂々巡り…。
多くの民族衣装が形態変容を遂げた20世紀転換期を念頭に、キモノは変容が小さかったので衣服形態のデザインよりも生地デザインが大事だといわれます。
しかし、そうなると、着物・和服(つまり衣服)のレベルでは無く、生地(つまり呉服)のレベルでの≪ファッション≫を語ることになってしまいます。
それはそれで良いんですが、ならば、服を語るように見せかけて生地を語るという矛盾や誤解を避けるために、ニュー・キモノではなく、ニュー・ゴフクやニュー・タンモノと名づけるべき。
次も「ディザイア」。
相変わらず歌唱力はエグいのですが、これらの服、痛い…。
夏祭りみたい…。
それに結局、ブーツかよ…。
というわけで、先に触れた矢嶋孝敏氏と経済学者の伊藤元重氏の対談には、これをぶつけたくなります。
中森明菜 Tango Noir
どこかの番組で中森明菜は「タンゴ・ノワール」(Tango Noir)のレコーディング時間を28分で済ませたと言っていました。
10代の頃には凄さが分かりませんでしたが、今更ながら驚いています。
映像ごとに別人になれる明菜を見ると、歌手活動だけじゃなくて果敢に映画へチャレンジしてほしい(ほしかった)と思います。
コスプレ衣装としての中森明菜「ディザイア」のニュー・キモノ
まさかアマゾンで売っているかなと調べてみたところ、ありました。
GeneriesやZacchinoやXINなどのブランドが中森明菜「Desire衣装」や「コスプレ衣装」と名づけて、ニュー・キモノを売っています。
はじめにリンクした映像で明菜が「目でも楽しませなくちゃいけないっというのがあって」と話しています。明菜のパワフルな姿勢に感激。
ディザイアの衣装をコスプレで着る人たちは、逆に耳でも楽しませてくれるのでしょうか。
とにかく「ディザイア」のニュー・キモノはダサいです…。
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