ウールの着物:シルクウールの流行と周辺

着物の歴史
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この記事では「婦人画報」1973年2月号をもとにウール着物の普及と当時の着物事情を紹介しています。

すでに当時は日本の絹織物産地がほぼ解体し着物の着用者が減っていました。

オートクチュールをはじめとする外国文化に言及しなければ着物を語ることができなくなっていたことがわかります。

ウールの着物 : シルクウールの流行と周辺

ウール

宣伝文の大意は次のとおりです。

昔はセルといわれたウール地の着物は春秋の季節に着られたものですが、今では盛夏以外に着ることができます。

最近は絹と羊毛を紋織りにした生地を使ってお召に似た製品が作られるようにもなりました。シルクウールといわれるもので、関東のいくつかの産地や京都で作られています。

天然繊維」(外部リンク)の簡単な要約もご参照ください。

外国文化に言及しなければ着物を語ることが難しくなったことを示す宣伝文は他にもあります。

西陣お召

いまはウールのきものに押されてか、どの産地でもあまりつくられてはいませんが、高級織物として一時は、西陣をはじめ、桐生、十日町、米沢、八王子などでも、大量に生産されていた。「婦人画報」1973年2月号17頁

西陣お召が西陣以外に東北地方や関東地方でも作られていたというのは工業社会におけるディズニーランド現象です。

高級織物として大量生産されたという理屈は今からみれば斬新で、「高級=少数」の先入観をいとも簡単に打破してくれます。

伝統製品の今の宣伝文句がどれほど浅はかな理屈の上に成り立っているかがわかります。

浅はかな理屈というのは、企業間競争が強まったので量産では経営が成立しないため、生産量を減少させることで「少数=高級」というイメージ形成を図り、「少数=高額」という理屈にズラせて消費者から無駄銭を叩かせるという理屈です。

1970年代には必ずしも「高級=高額」すら考えられていなかったこともわかります。

十日町お召

いまは、レースの町に変わろうとしています。「婦人画報」1973年2月号18頁

新潟県十日町がお召の生産地からレースの生産地へ展開しつつあることがリアルタイムに記されています。

結城紬

かなり叙述がブレています。

次のとおり。

生産量はわずかであり、ほとんどは半機械的な操作で量産されているものです。「婦人画報」1973年2月号19頁

わずかしか生産されない量が大量生産の量と同義に述べられています。

本当に生産量が少なければ産地がポシャるはずですが、結城紬が重要無形文化財に指定されているのですから、ある程度の量産と普及は必要です。

その両端を述べようとすると、このように分裂した文意を1文にする必要があるわけです。

着物の素晴らしさを語る時

シルエットがドレッシーです

装道きもの学院長の酒井美意子のこだわり。

酒井は着物の良さをドレッシーなシルエットと、織の着物より染めの着物とに魅了される点を語っています。

その目的は慶弔・パーティ、「とくに外国人の出席するそれの際にも欠かせない」点にあります。

この延長に次のような発言があります。

数年前、パリに行った時、フランスのオートクチュールの団体の代表のかたから、このきものをほめていただいたのが、嬉しい思い出として残っています。「婦人画報」1973年2月号30頁

オートクチュールの団体」が自作自演のアート集団だという点は述べました。

この集団を称賛するのは何も洋装業界や洋服業界だけに限ったことではなく、和装業界・和服業界にも浸透していたことが分かります。

和服と洋服の違い

大塚きもの・テキスタイル専門学校創立者の大塚末子のこだわり。

大塚は和服と洋服の違いをよく聞かれたそうですが、身体に纏う点から同じだと述べています。

しかし、直後の文章で着物と洋服の違いを明言します。

きものは形が古くなるということがありませんから、十年でも二十年でも、その折り折りの気持ちで身につけることができるという点が、違うようです。「婦人画報」1973年2月号34頁

着物を語るためには洋服を語らなければ難しいことを示しています。

確かに着物の形態は安定的ですが、それを指摘したからといって呉服(着物生地)が傷まないこととは別の話です。

ですから、10年や20年の期間に「その折り折りの気持ちで身につけること」は保証はありませんし、大塚も明言していません。

洋服の感覚で

ヘアリスト・着付の名和好子のこだわり。

着物のゆったり感が良くて普段着も正装も着物で通しているとのことです。

ひざのあたりがスカートのように気になりませんし、なによりも、ゆったりとして、きゅうくつでないのがいいですね。「婦人画報」1973年2月号36頁

名和は1920年1月生まれなので当時は53歳。

としますと、小さい頃に洋服・和服を着用して戦時期にシャッフル、戦後は次の引用のようでしょう。

ふだん着は洋服、正装はきものという感じでしたが、最近はほとんどきもので通しています。「婦人画報」1973年2月号36頁

50歳を超えて膝が気になりスカートを止めたのは老いが原因でしょう。

女性が脚を見せにくい風潮と女性がズボンを穿かない風潮が重なれば、脚を隠すには着物しかない。

コートは、先日パリできものにぴったりのものを見つけました。「婦人画報」1973年2月号36頁

酒井美意子と同じように名和もパリを出さなければ着物を語れないようです。

着物を称賛するということはパリを称賛することでもあるというロジックは和装業界に務める女性たちに広く浸透していたのですね。

参考文献 「婦人画報」1973年2月号

しょうざん(ウールの着物)

この記事では1973年の雑誌からウールの着物をとりあげました。

そもそも近世末にウール生地が輸入されてから、かなり使われたのがじつは着物をはじめとする和服類だったんです。

洋服生地に使うのはもっと後。そもそも近世末に洋服を作れる日本人はいませんでしたから。

1960年代の雑誌にも次のようなウール着物の広告があります。

結婚したら「主婦の友」主婦の友社、1965年2月号45頁。

普段着のつもりで気兼ねなくどこへでも着ていい外出着。

一見ラフに見える地風のなかに深い色調と小粋な味わいが秘められているのが特徴とのこと。

味わいが秘められていると見えないので効果ないんじゃないかと思ってしまいますが、ウールでもトーンの低い渋い色調になったことが分かります。

販売元は「しょうざん」で、特選ウールの最高級品とのこと。

着なれるとさらに良さが分かると伝えているように、やっぱり生地は馴染まないと楽しくありませんので、着物ライフを楽しもうとしている女子は、気楽にちょくちょく着物を着てくださいね。

1960年代は化学繊維が世界中で普及した時代。

絹に代替するのが化繊最大の目標でしたが、綿や羊毛(ウール)などの天然繊維も脅威にさらされていたことを示すのが次の広告。

結婚したら「主婦の友」主婦の友社、1965年2月号47頁。

いわゆる「ウールマーク」の宣伝です。

化学繊維を意識して「自然の神秘」とうたっています。

ウールの七不思議を明記しているので、せっかくですから抜粋します。

  • 冬に暖かく夏に涼しい
  • 仕立て上がりが美しい
  • 着心地が素晴らしい
  • 豊かな色合い
  • シワになりにくい
  • 蒸れる感じがしない
  • 汚れにくい

着物ライフで気になる点をこれだけ列挙されたら、ウールでいいじゃんとなりそう。

広告主はIWS、国際羊毛事務局で、東京都港区赤坂局内に私書箱をもっていました。この事務局は1998年から「ザ・ウールマークカンパニー」と改称。公式サイトはこちら。

おすすめ本(読みごたえ重視ランキング)

日本人のすがたと暮らし

近代化における日本人のすがたと暮らしの実態をテーマ別に洞察した本です。大正ロマン、昭和レトロ、近代日本人の生態など、近代の着物ライフを知るのにもってこいです。近代日本のファッション歴史を学ぶ最初に読むべき本です。とりあげたテーマは245項目にわたります。1項目は約2頁で収められているので読みやすいです。

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